PART3

・・ 8週目のできごと・・

 今回の日本滞在期間は短く、妊娠7,8週目の期間だけでした。でも、この頃、朝起きると、なんだか少し気持ち悪い感じがありました。今思えば、それがつわりだったのだなあ・・と思います。でも、話に聞くものや、テレビドラマで出てくるような、洗面所やトイレへかけ込むほど重症ではありませんでした。母や友達から聞くようなつらさがなかったので、とてもラッキーでした。
 
 ちなみに、母は私の時のつわり(7月7日出産予定日)は12月あたりから始まり、クリスマス前後が特にひどかったようで、ほんとうに何も食べられず、床にふせっていたそうです。
 そして、それは1,2ヶ月くらいつづき、年末の年越しそば、年明け正月の御節料理なども口にできなかったそうです。長期間だったので、入院するか、しないか、そんな状況にも陥ったとか。食べられなくても、カルシウム、鉄、ビタミンの不足はお腹の赤ちゃんに悪影響であるということで、錠剤を飲んでいたという話も聞きました。

 そんな中、妊娠8週目のこと、シンガポールへ戻る日を数日後に控えた朝でした。私は明け方、急にお腹が痛くなりました。 その日は運悪いことに日曜日。母が心配して、民間療法から、正露丸、西洋の薬は飲まないほうがよいということで、いろいろ対処法を考えてくれたのですが、一向に良くなりませんでした。

 これは、もう救急車を呼んだほうがいいということになりました。でも、日本の医療機関にかかるのに、保険証がないので心配でした。しかし、お腹の子供の命に何かあったら大変だからということで、私は、その日、初めて救急車に乗りました。お腹が痛くて歩けませんでしたので、救急隊の人たちに担架で運んでもらいました。彼らの機敏な行動にビックリ。母が付き添いとして同乗し、とりあえず、妊婦だということで、それ関係の救急病院へ運ばれました。
 
 お腹の痛みは、家にいたときよりも、だいぶ治まってきました。救急の出入り口から産婦人科のほうへ運び込まれました。担当の先生は女医さんで、8週目の妊婦だということで内診があり、この時、初めて超音波検診を受けました。


・・ 8週目のできごと(続き)・・

 救急隊の人達に担架で担ぎこまれた大病院の小さな診察室で、初めて超音波検査というものを受けました。お腹の上に、まるでスーパーのレジで使うようなバーコードスキャンの機械をあてるだけなのですが・・

 映し出された画面を見ると、胎嚢(たいのう)という袋に入った赤ちゃんが元気に育っているということ。今回の腹痛は、赤ちゃんとは直接関係がなさそうだということで、まだお腹が痛くて動けないならしばらく、病院のベッドで休んでから帰りなさい。帰りに薬を受け取ってくださいという指示を受けました。

 担ぎ込まれた時よりもお腹の痛みがだいぶ和らぎ、1人で歩けるようになりました。連れて行かれた病室は、妙に静かで暗くて寒い空き部屋で、あまり気持ちの良いところではありませんでした。とりあえず、看護婦さんは、布団やら何やら用意してくれたので少し横になったけれど、これなら家で寝ているほうがいいと思ったので、しばらくしてから母と帰ることにしました。

 この時に、母とさっき見た超音波の画面にうつった赤ちゃんのことを話しました。母は、最近の技術の進歩に驚いていました。なぜなら、お腹の赤ちゃんは、まだたった8週目なのに、子宮の中に卵のようなものがあるのがわかり、目を凝らすとその中に、とても小さな赤ちゃんがいるのがわかるのです。

 初めて超音波の映像で見た赤ちゃんの大きさは2.5cm。 指のつめの先ほどしかない大きさでした。でも確実にお腹の中で育っているのだということを実感しました。

 薬を受け取りしはらった料金は1万円。看護婦さんから「もし、保険証があるなら、後日持ってきてください。差額を計算して返却します。」と言われました。このときすでに保険証はなく、自己負担する覚悟を決めていましたが、いがいにどんぶり勘定だなあ・・と思いました。

 すでにお腹の痛みも、最初の時よりもかなり治まってきていました。処方された薬は、痛み止め、そんなものくらいでした。


・・ シンガポールへ戻る・・

 病院からは、母とタクシーで帰りました。そのタクシーの中で、母の妹(私の叔母)が初めての妊娠の初期段階(ちょうど、今の私の時期くらい)に、流産したと聞きました。私はいままでにそのようなことを聞いたことがなかったので、少し驚きました。

 身近でそういう事があったので、母は今回の私の腹痛をとても心配したようです。妊娠初期段階の流産は、わりとよくある話だそうです。私も後で友達から、二人目を妊娠初期で流産したという話を聞きました。

 家へ着いてからは、病院でもらった薬がきいたのか、時間の流れによる解決か、どちらかは定かではないけれど、お腹の痛みはありませんでした。

 残りの日本滞在中はとりわけ体調のトラブルもなかったので、当初の予定通り約2週間ほどで、シンガポールへ戻ることにしました。

 いつもなら、必ずといっていいほど経由便にはせず、シンガポール直行便にするのですが、今回はあえて台湾経由する便を選びました。7時間近くずっと乗り続けるよりは、一度乗りかえたほうが、体が楽かな?と思ったからです。

 スーツケースの中身は、日本から持ち帰りたい物が多くて、ついつい重くなってしまいがちですが、両親から最小限におさえろと言われ、しぶしぶ少なめにしました。 成田空港(旧、新東京国際空港)まで、荷物を持って送ってもらいました。

 この時乗った飛行機はシンガポール航空で、成田出発は朝9時半、まずは、3時間ほどのフライトで台湾へ到着しました。その後乗り継ぎ時間が少しあり、台湾からシンガポールへは約4時間のフライトで、夜の6時頃シンガポールへ着きました。
 今回はじめて、台湾経由の便にしましたが、乗り継ぎのための待ち時間が、意外に長く、あらためて、日本とシンガポール間の遠さを感じました。朝早い時間から家をでて、夜にようやくシンガポールへ到着するという、一日がかりの移動となり、疲れました。やはり、直行便にすればよかった…と少し反省しました。



・・ GPから紹介された産婦人科・・

 飛行機での長時間の移動が終わり、荷物を持って税関を抜けると、そこには会社を早退し迎えに来てくれた夫が待っていました。空港を出ると、日本の秋からシンガポールの夏の気候を肌に感じました。2週間前、シンガポールを出発し日本へ到着した時には、そんなに激しい気温の差を感じられなかったけれど、戻ってきて、気温の差というものを実感しました。

 帰りのタクシーの中で、夫からまっさきに言われたことは「産婦人科へ予約を入れるから行こう。」という言葉でした。この時、私はすでに、妊娠3ヶ月目の中ごろに突入していました。最初に妊娠を判定してもらった病院は、GP(General Practitioner)と呼ばれる「一般医」。ホームドクターのいる診療所のようなところだったので、ずっとそこで診てもらえるわけではなかったのです。

 そこで、その診療所の女医さんから、もう少したったら産婦人科の専門医に行って、きちんと診てもらうように言われていました。でも、どの産婦人科に行けばよいのかわからなかったし、見当もつかなかったので、彼女から産婦人科専門のお医者さんを紹介してもらいました。

 こうして、私がシンガポールから戻ってきた次の土曜、10週目(3ヶ月)に、夫が、紹介してもらった産婦人科へ予約を入れてくれたので、一緒に産婦人科を訪れました。

 そこはマウントエリザベスという大きな病院内で開業しているクリニックでした。初めて大きな病院に入り驚いたことは、壁にとても大きな看板があり、それにはA〜Z(アルファベット順に)ドクターの名前が書き並べてあったことです。

 後に友人から聞いた話によると、シンガポールの病院は日本とは違い、あくまでもその建物を指すだけで、各個人(医師)経営のクリニックが、病院の建物の一部を借りて集まっている所だということです。

 だから、建物にはマウントエリザベス病院という名前がついているけれど、小さな診療所がたくさん集まっているビルという感じを受けました。



・・ シンガポールの大病院・・

 シンガポールの大病院へ初めて入った時は、驚きと困惑の連続でした。前回のことに付け加えて驚いたことの2つ目は、日本のように、病院へ入ったらすぐに目に入る「初診の窓口」というものがないことでした。そして、診察が終わっていく「会計」と「薬を受け取るところ」という所もありませんでした。
 これは、会計や、薬の処方は、各クリニック内で行われているために、必要ないことだと、後で理解しました。

 聞いた話によると病院が抱える専属の医師はいないけれど、緊急医が待機しているし、看護婦が駐在しているそうです。だからこそ、病院と言えるのですよね。

 というわけで、私たちは病院へ入ってまず初めに、大きな壁に書かれているドクター達の名前の中から、紹介してもらった名前を探すことから始めました。たくさんのドクターの名前が記載されていたので、捜すだけで、時間がかかりました。

 おまけに、その階へ着いたら、今度は、たくさんの診療所があったので、またまた捜すことになりました。こうして、ようやく目的地へたどり着きました。大病院の一角にあった診療所は、予約を入れていたにもかかわらず、土曜は一番込んでいる日ということで、たくさんの妊婦で込み合っていました。
 
 受付をすませた後は、体温測定。それから、尿検査がありました。すでに、尿判定はすませていたのですが、もう一度ありました。

 診察室へ入ると、わりと年のいった男のドクターがいました。彼の話しでは、日本人の妊婦も、何人か診たということでした。脈をとって、血圧を調べた後、血液検査のために採血されてから、いくつか質問をされました。

 言葉がわからなかったので、夫を通訳としてお医者さんの質問に答えました。最終月経日から始まり、過去に妊娠したことはあるか、中絶経験、入院して手術したことがあるか、自分の持病やアレルギー、親の病気、祖父母の死因、近親者に双子がいるかなど、いままでに聞かれたことのない内容ばかりでした。



・・ 初めての産婦人科検診・・

 お医者さんから、いろいろと質問を受けた後、超音波をみることになりました。日本の救急病院で診てもらった時と同じような機械でした。まず、コードがついているスーパーのレジでバーコードを読み取るような機械をお腹にあてられました。すると、コードの先のモニターには、真っ黒な羊水の中にいる小さな赤ちゃんが映し出されました。でも、どこに赤ちゃんがいるか、どこがどうなっているのかなど、お医者さんに言われるまでは、なかなか検討がつきませんでした。

 それでも前回、日本で見たときから比べると、まだ数週間しかたっていなかったにもかかわらず、比較的にわかりやすくはっきりと見ることができました。お医者さんが、頭の位置や手足の位置など、モニターを指して説明してくれました。説明を受けたら、私にも、はっきりと頭と手足の位置が理解できできました。ちゃんと人の形らしく見えて、とても感動しました。

 お医者さんは、モニターに映し出された映像をプリントして、渡してくれました。初めて手にした超音波写真でした。いまでも、大切に保管しています。夫は、わざわざお店でラミネート加工してきました。

 それにしても、病院内の冷房が効き過ぎていたのには、辛かったです。寒くて寒くて、病院で毛布やタオルをもらったり、暖かい水をもらったりしました。とにかく、あまりにも病院内が寒かったので、早く建物の外へ出たくてたまりませんでした。

 以前、友達から、「映画館の冷房があまりにも効き過ぎていて、凍えそうになり、どうしても耐えられず、最後までみることができなかった。」と、いう話を聞いたことがあります。 バス、MRT、その他建物に入った時も思ったことがありますが、どうしてこんなに冷房をきかすのか、とても不思議でした。シンガポールの人って、そんなに暑がりなのでしょうか。

 
 私はこれに懲りて外出する時は必ず羽織るもの(上着、長袖、ショール)などを持参するようになりました。バス、MRTの車内、建物の中と外の気温差には身体がおかしくなりそうです。冷房をきかす理由の一つには、大サービスということらしいのですが。資源の無駄のように思えてなりませんでした。


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メイナイの
シンガポールで育児
 
PART1
はじめに…
序章
結婚式までの1ヵ月
結婚式の数日前
 
結婚式の朝 
夫の家での結婚式
 
中華レストランでの披露宴

PART2
結婚披露宴 2
披露宴が終了して
妊娠発覚

日本へ帰ろう 
日本の秋は寒かった
滞在中楽しかったこと


PART3
8週目のできごと
8週目のできごと(続き)
シンガポールへ戻る
GPから紹介された産婦人科
シンガポールの大病院
初めての産婦人科検診

PART4
従兄弟紹介の産婦人科
産婦人科の隣 
妊婦のはまった南国フルーツ
妊娠初期の食べ物
シンガポールのクリスマス
妊娠16週目、血液検査の結果

PART5
シンガポールの大晦日
シンガポールでの元旦
1月2日、羊水検査
羊水検査の結果

旧正月直前のシンガポール
19週目、胎動を感じるようになる

PART6
両親がシンガポールに3日滞在
旧正月前のチャイナタウンとクラークキーの夜
羊水検査から6週間後の検診
チャイニーズニューイヤー
元旦と2日目


PART7
夫婦でシンガポールPRを取得
25週目、メールで知り合った妊婦友達と会う
フリーマーケット巡り
日本人の母親学級
32週目(9ヶ月目)検診で
妊婦最後の35週目

PART8
5月14日アルバニア病院へ入院
出産のための入院中
5月15日午前4時28分出産
全身麻酔による帝王切開
出産直後の1日
子供の名前

PART9
5月16日、産後1日目
授乳の量、ミルクの量と間隔
入院中
手術後の体
同室の人々
入院6日目に退院

PART10
ベビーブック
予防接種

退院と精算
日本の母の滞在
4ヵ月頃までのミルクの飲み
おむつの話

  
PART11
離乳食の話
寝返り、おすわり、つかまり立ち
赤ちゃんとの初海外旅行
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