PART6

・・両親がシンガポールに3日滞在・・

 両親がチャンギ空港へ着く予定時刻は夜。今回はツアーだから、空港へ行っても意味のないことだったのですが、どうしても待ちきれずに会いに行きました。ガイドの人は、本当は、私を乗せることはダメなのだけれど、今回は特別に、と言って、両親を含むツアーの人達が宿泊するホテルへ向う送迎バスに乗せてくれました。

 ホテルへ到着し、両親は私へのおみやげ物を小型のスーツケースへ詰めなおしてくれました。到着した便は夜着だったため、すぐに真夜中になってしまいました。そのまま、久しぶりにお風呂に入って(シンガポールの家には、バスタブがないので)泊まっていきたかったけれど、主人が待っているので、やめることにしました。こうして、日本からのお土産がたくさんつまった小型スーツケースを持ってタクシーで帰ることになました。

 翌朝、ホテルでは朝食が付いていないということで、シンガポール風朝食、スナックを買いながら、ホテルへ向いました。ローカルフードが好きな父は、大喜びでした。


 インド系のロティプラタというカレーをつけて食べる「ナン」のようなパン。中華系のさらっとした「お粥」。一口サイズで食べられる「中華まん」の中身は多種あります。豚肉、鶏肉、甘いチャーシュー、黒ゴマ入りのあんまん、ロータス(蓮のあん)入りなど。飲み物は豆乳。デザートには、やさしい甘さの豆腐プリンとエッグタルト。

 今回朝食として買ったものは、このくらいでしたが、朝のマレー系屋台には、カラフルデザート、「クエ」も多種ありました。もっちりとした食感に、ココナツミルクの甘さ。初めて食べた時は、その不思議さに、とまどいました。

 朝食の後はホテルの中と、周りの散策。ホテル内にあったプールはとても素敵だったので、さっそく泳ぐことにしました。20週目の私のお腹は、まだそんなに大きくないために、いままで着ていた水着で十分入りました。でも、プールは野外で、水温があまり高くないために、少し寒い感じがしたため、すぐに泳ぐのをやめてしまいました。そして、着替えてから皆で外出することになりました。

 ホテルは、クラークキーにあり、チャイナタウンが近かったので、旧正月前の賑わいを見にいくことになりました。


・・旧正月前のチャイナタウンとクラークキーの夜・・


 旧正月前のチャイナタウンは、道路の飾りつけ、ライトアップも華やかでした。馬年なので、馬の飾りつけで華やいでいました。主な色は赤と金。とても煌びやかでした。

 近所のスーパーと同じように、旧正月用のテンポがいい曲が流れ、透明プラスチックケースに赤い蓋のお菓子の瓶が大量に出回っていました。
 キャンディー、ゼリー、チョコレートのグラム売りも沢山でていて、母は祖母へのお土産に、と言って、袋詰しました。

 昼食はチャイナタウンで飲茶、そして夜は会社帰りの主人も含め、クラークキーで食事することになりました。私の父は、ビールを飲んでサテーを食べることが大好きで、クラークキーに「サテークラブ」というお店があるのを知り、とても行きたがりました。

 「サテー」とは、日本の「焼き鳥」のようなもので、竹串に、一口大の大きさに切れた 鶏肉、羊肉、牛肉、などを刺して炭火で焼いたものです。それに、くだいたピーナツにお砂糖を入れて練ったたれをつけて食べるものです。マレー系の料理なので、あまり豚肉を使用する店がありませんが、中華系のお店だと、豚肉のサテーもあります。

 「サテークラブ」は、車の来ない道路いっぱいにテーブルを並べていて、屋台という感じでした。サテーだけでなく、「ムルタバ」という、「ロティ」という、「ナン」のようなものの中に羊肉や鶏肉を細かくミンチにしたもの、玉ねぎなどの具が入った食べ物なのですが、こちらのひとは、日本人だと「ムルタバ」のことを「おこのみやき」だと、説明する人が多いです。日本人としては、お好み焼きとは違う!と思うのですが・・・

 屋台が羅列している所には、もちろん他の店も沢山でていました。テーブルにつくと、飲み物屋の人が真っ先に注文をとりにきました。父はもちろんビール。私達は各種フレッシュフルーツジュースのメニューから、マンゴージュースやパイナップルジュースなどを選びました。

 大道芸人が何人かいて、音楽を弾いたり、簡単なショーをしていました。欧米系のお客さんが沢山きていたことも、印象に残りました。



・・羊水検査から6週間後の検診・・

 両親との3泊4日は、あっという間に過ぎ日本へ帰国していきました。その数日後、中国旧正月の3日前に、羊水検査から6週間後ということで、前回受けたシンガポール国立大学病院(NUH)で、検診がありました。

 その検診では、超音波断層装置で胎児の頭回り、身長、などの測定をしようとしたのですが、赤ちゃんがあまりにも動き回るのでちゃんと測定ができないから、病院内を1時間くらい散歩してから再度いらっしゃい、と言われました。

 もうすでに、お腹の中の子供は男の子だということはわかっていたのですが、産まれる前からすでにやんちゃぶりを発揮していたのです。現在、3歳である私の息子は、とても元気。やんちゃ坊主に成長しています。

 病院散策をしている途中にケーキ屋を発見!ということで、そこのカフェテリアで、優雅にケーキを食べることにしました。ケーキを食べて、母子共に大満足。どうやら落ち着いたお腹の中の息子は、その後の検診の時は暴れ回らなかったようで、無事終了しました。

 翌々日は、チャイニーズニューイヤー前日、いわゆる大晦日。主人の仕事はこの日から10日間連続の大連休です。夜には、実家のあるマレーシアのジョホールバルへ行く事になっていたのですが、急に朝から大掃除を始めました。新年を迎える前に掃除をするという習慣は同じなんだなあ・・と、思いました。

 その日の夜、タクシーで国境を越えようと思っていたけれど、あいにくの大雨にタクシーもつかまらず、30分以上も経過。もうルートを変更しようと思っていた矢先、国境手前のウッドランドにあるシンガポールのイミグレーションまでだったら連れて行ってくれるというタクシーをつかまえることができたので、それに乗って行きました。

 シンガポール出国のイミグレーションは混雑していながらも、どうにか通過。でも、問題はマレーシア入国のイミグレーションでした。とくに、私のような外人枠には長蛇の列。さっと通れるマレーシアパスポートを持つ夫も付き合ってくれました。約2時間通過。もうマレーシアへは行きたくない、帰りも混んでいるのかと思うと、滅入ってしまいました。



・・チャイニーズニューイヤー・・

 ようやくマレーシアへ到着しましたが、もうほとんど真夜中。それでも、マレーシアの兄弟達はにぎやかに時を過ごしていました。

 一緒にニューイヤー前日の夜の食事をするのだと言っていた主人でしたが、実は彼の実家では、そんなことはないという事実に気づいたのは2年後くらいでした。この年は、私達がマレーシアへ到着したのが夜中であったために、私にはまったくわかりませんでした。夫の兄弟達はまだまだ若いので、好き勝手に友人達と大晦日や元旦を帰宅せずに遊びまわっていました。

 でも、聞くところによると、チャイニーズのほとんどの人達は、大晦日の夜をホームパーティーや、レストランなどで集まって食事するのが習慣のようです。

 元旦の朝、12時までは食事をとってはいけないというのも習慣のようで、昼までは飲み物だけで過ごしました。昼食は野菜のみの料理で、この日は肉を食べないそうです。でも、これが本当にチャイニーズの習慣なのか、夫の家の習慣なのかは不明です。

 ニューイヤー前の買出し、買い込み、という所は日本と変わりませんでしたが、やはり、買うものは違いました。日本だと、おせち料理のための材料がほとんどですが、こちらでは、お菓子とジュースの買い込みという感じでした。クッキー、チョコレート、キャンディーなどが、赤い蓋つきの透明プラスチックの容器に入り、スーパー内外、表にテントを張って、所狭し、と並べらてありました。

 クッキーと言っても、日本人が想像するようなものだけでなく、パイナップルジャムがのったり、卵白と砂糖とココナツだけで仕上げたもの、油で揚げたお菓子、エッグロール・・日本人に馴染みやすいものから、何だコレ?と奇妙で口に合わないものなど、多種多量なお菓子がお店に並んでいるのです。

 正月用品で日本と同じものがありました。それは「みかん」です。でも、大半が中国産で、皮が堅かったり、中に種がごろごろしていて、日本のものとは違いました。味だけでなく、用途も違うなあと感じました。


・・元旦と2日目・・

 元日の午後過ぎに、弟の友人がやって来ました。手には「みかん」を2つ持っていました。もう20歳すぎの大人ですが、義母はアンパオと呼ばれる赤い袋を渡しました。アンパオとは、日本のお年玉です。中華系では、何歳になっても独身者に対して、既婚者はアンパオを渡す習慣があるそうです。

 「みかん」については、新年の挨拶回りに必ず手に2つ持っていき、それを訪問先に渡し、帰りには訪問先のみかんを持って帰るという習慣があるということです。そのために、各家庭では「必ず」と、言っていいほど、一箱購入するそうです。

 というわけで、みかんを購入していなかった私達は、ちゃっかりと、シンガポールの親戚回りをするためのみかんをもらって帰ることになりました。

 2日目の午後、マレーシアの家を出ようと思ったら、来客があり、そのために、帰宅する時間がすこし延びてしまいました。今度の客は、若い夫婦で、奥さんは妊婦さんでした。聞いてみると、私の出産予定日より1ヵ月前ということ。それなのに、とても大きなお腹をしていました。

 そのお腹に比べると、私はほとんどでていないので、マタニティドレスを着ていても妊婦には見えませんでした。もう22週目で6ヶ月目だというのに・・・

 その夫婦が帰った後、義母もシンガポールにいる姉と妹の家を訪ねるということになり、急遽3人でシンガポールへ行くことになりました。

 正月2日目の午後のイミグレーションは、一昨日、大晦日の夜の時とは大違いで、空いていてや、スムーズに通過することができました。道路も渋滞がなくて、とても快適に国境を越えることができました。

 でも、いざ家へ帰ると、スーパーや近所のお店は、ほとんどが閉まってい
ました。マレー系、インド系のお店で開いているところがあり、助かりました。


・・旧正月の親戚回り・・

 旧正月の3日目。義母、夫、私の3人は、まずシンガポールのシメイという場所に住んでいる義母の妹の家に行きました。そして、そこには居なかったけれど、叔母の3人の子供へ(20歳過ぎでも未婚ということで)お年玉を渡しました。

 それから今度は4人で一緒に、義母の姉の家(センカンという場所)へむかいました。そこには、まだ小さい孫達が大勢いて、とてもにぎわっていました。もし全員は揃っていたら10人です。

 まだ引っ越したばかりで、新築HDB(政府が管轄している物件)の5RM部屋でした。まるで、コンドミニアムのようなところでした。数年後には、こんな素敵な家に引っ越したいなあ、と、思いました。

 今はセンカンの新築に住んでいる義母の姉家族ですが、昔は私達が今借りて住んでいるHDBの3RMに住んでいたのでした。もっと正確に言うと、私たちが借りる前は、夫の従兄弟家族(つまり義母の姉の息子家族)が住んでいたそうです。でもその従兄弟家族も、ホウガンとう場所に新しく広い家を買ったために、誰か住む人を捜していたそうで、私たちが借りることになったのでした。

 私たちが新年で訪れた時、センカンの家に孫が勢ぞろいしていなかったけれど、10人の孫のために用意したアンパオを渡しました。すると、お腹の子供にと言って、私にアンパオをくれました。

 こうして、2ヶ所の親戚まわりも終わり、残りの正月(夫の会社が始まるまで)を過ごしました。数日して、マレーシアへ帰るという義母を送りに、夫はマレーシアへ行きました。

 10日ほどの正月休みも過ぎて、夫の仕事がはじまり、私も週に2回の中国語レッスンが始まりました。

 私は、週2回の授業で、勉強はもちろん、クラスの友達と会って話すことや、オーチャードで食事をしたり、ウィンドウショッピングするのがとても楽しみでした。


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メイナイの
シンガポールで育児
PART1
はじめに…
序章
結婚式までの1ヵ月
結婚式の数日前 
結婚式の朝 
夫の家での結婚式 
中華レストランでの披露宴
PART2
結婚披露宴 2
披露宴が終了して
妊娠発覚

日本へ帰ろう 
日本の秋は寒かった
滞在中楽しかったこと

PART3
8週目のできごと
8週目のできごと(続き)
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GPから紹介された産婦人科
シンガポールの大病院
初めての産婦人科検診

PART4
従兄弟紹介の産婦人科
産婦人科の隣 
妊婦のはまった南国フルーツ
妊娠初期の食べ物
シンガポールのクリスマス
妊娠16週目、血液検査の結果

PART5
シンガポールの大晦日
シンガポールでの元旦
1月2日、羊水検査
羊水検査の結果

旧正月直前のシンガポール
19週目、胎動を感じるようになる

PART6
両親がシンガポールに3日滞在
旧正月前のチャイナタウンとクラークキーの夜
羊水検査から6週間後の検診
チャイニーズニューイヤー
元旦と2日目


PART7
夫婦でシンガポールPRを取得
25週目、メールで知り合った妊婦友達と会う
フリーマーケット巡り
日本人の母親学級
32週目(9ヶ月目)検診で
妊婦最後の35週目

PART8
5月14日アルバニア病院へ入院
出産のための入院中
5月15日午前4時28分出産
全身麻酔による帝王切開
出産直後の1日
子供の名前

PART9
5月16日、産後1日目
授乳の量、ミルクの量と間隔
入院中
手術後の体
同室の人々
入院6日目に退院

PART10
ベビーブック
予防接種

退院と精算
日本の母の滞在
4ヵ月頃までのミルクの飲み
おむつの話

  
PART11
離乳食の話
寝返り、おすわり、つかまり立ち

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