PART8

・・
5月14日アルバニア病院へ入院・・

 翌日の朝、仕事を休んだ夫と一緒に、はじめてアルバニア病院へ行きました。そこで、まずは病院内で開業している主治医のクリニックを探しました。ものすごく広い病院というわけではなかったけれど、迷いました。

 前日に、主治医から「とりあえず、入院できるような用意をしてきてください。」と、言われたけれど、特別に具体的な指示がなかったし、私も「まさか、すぐ出産するわけではないだろう。」と、自己判断していたので、入院するかもしれないという「覚悟」を少しして望みました。

 でも、早速主治医から、分娩方法について以下の3通りの選択方法を、具体的に提示されました。


@ 陣痛促進剤と膣を広げやわらかくする薬を使い経膣分娩をとる。
A 部分麻酔のエピを用いての帝王切開。
B 全身麻酔を用いての帝王切開

 
 @はどれくらい薬が効くか使ってみないと度合いがわからないし、経膣からの分娩で時間がかかると母子共に危険なので、オススメしない。
 
  A
の部分麻酔=エピデュール(エピ)の効きが悪いと、分娩の途中からBの帝王切開に切り替えることになる。と言われました。

  そしてBは、読んで字のごとく、全身麻酔をした後に、お腹にメスを入れ、切り開いてから子供を取り出し、お腹を縫い合わせる。という帝王切開の方法でした。

 結局、夫と相談した結果、Bの全身麻酔による帝王切開を選択することに決めました。

 次に決めなければいけないことは、入院する部屋のタイプでした。

 帝王切開というだけで、経膣分娩よりもお金がかかるために、入院プランは、一番安い4人部屋の帝王切開というパッケージを取ることにしました。取り出した後の赤ん坊の状態によっては、NICU(新生児集中治療室)へ入る可能性があると、言われたからです。


・・出産のための入院中・・

 昨日のHUHの検査では、胎児の予想体重は2050グラム。もし2キロ未満で産まれて来れば、未熟児として、NICU入りだと言われていました。

 分娩方法を全身麻酔での帝王切開に決めるとまず、アルバニア内の主治医から「未熟児として生まれてくるために、胎児の肺の機能を高めなければならない」と言われました。そして、そのために、出産までの間、2回に分けて注射をすることになりました。

 さっそく私はベットへ横になり、背中の下の部分に1回目の注射を受けました。2回目の注射は12時間後だと言われました。

 その後、診察室をでて受付へ行き、入院手続きをしました。

 昼を少し回っていたので、昼食が運ばれてきました。病院の食事はメニューが豊富で結構美味しいと聞いていたのにもかかわらず、あまり美味しくありませんでした。それもそのはず、私が受けた注射に糖分が多く入っているということで、運ばれた食事は糖尿病用のローカロリー食でした。 美味しいと評判の病院食。期待していたのに、ちょっとがっかりしました。

 主治医がやってきて、手術予定時間は5月15日の午後1時と告げられました。4人部屋で食事して、病院の服(甚平のような形で、前開き紐結び)に着替え、午後3時頃から分娩監視装置をつけられました。

 午後3時頃、看護婦さんが おやつを運んできました。でも私には、少し温めたローファットミルクだけでした。同じ病室内の他の人達には、ミロ(ホットチョコレートドリンク)とパウンドケーキが運ばれていたので、ちょっと羨ましかったです。

 夕方頃、看護婦さんが剃毛をしにきました。数時間ごとに、モニタリングのチェックと体温計を測りました。その後、夕食が運ばれ、この頃までいた夫は、お腹がすいたようで、また翌日来ると言って、家へ帰っていきました。私は、相変わらず分娩監視装置をつけられたままで、看護婦さんが、数時間ごとに、数値をチェックしにきました。


・・5月15日午前4時28分出産・・

 夜11時頃、看護婦さんが、胎児の心拍数が下がってきているから、私の主治医を呼んだと言いにきました。その後も、看護婦さんが出たり入ったりしてきて、私は一向に眠ることができませんでした。

 なんとなく、うとうととしかけた時、突然看護婦さんに起こされました。15日の午前2時過ぎのことでした。

 胎児の心拍数が不規則だ。主治医も呼んである。これからすぐに、手術をして、胎児を取り出す、と言うのです。私は、びっくりしました。

 病室移動のために、車椅子に乗せられました。

 午前3時頃。私が入った病室は、真っ暗でかなり冷房が効いていて、シーンとしているのですが、ときどき妊婦さん達の陣痛で痛がっている声が聞こえました。私は、その病室には何分か寝かされ、今までと同じように、分娩監視装置をつけられました。

 看護婦さんから「主治医が来るまでここで待っていなさい。今、この病院へ向っています。」と言われました。 それから数分後 主治医が着き、今度は看護婦さんにベットごと移動させられ、そのまま手術室へ運ばれました。

 「え?このまま手術室へ?ちょっとトイレに行きたくなったんだけど」と訴えたら、バケツをお尻にあてられ、そのまましろと言われました。でも結局でなくて、私はそのまま手術室の天井の強い光をみながら、催眠ガスらしきものを口にあてられてました。主治医から、しっかり吸いなさいと言われ、何回か呼吸したら数分後には意識がなくなってしまいました。

 意識が戻ったのは、手術室をでた所で、ベットごと部屋へ向って移動中の時でした。寝ながら廊下をすすんでいきました。一緒に移動しながら夫が、しきりに「さっきデジカメでとった赤ちゃんを見ないか。」と、私に声をかけていました。赤ちゃん・・ふと、自分のお腹をさわってみたら、すっかりぺたんこになっていました。


・・全身麻酔による帝王切開・・

 全身麻酔による帝王切開だったため、私は意識がないうちに手術室でお腹を切られ、赤ちゃんは先生の手で取り出されたのでした。それは、入院した翌日の5月15日の4時28分。出産前から言われている通り男の子でした。

 入院した時の手術予定が15日の午後1時。でも、入院中お腹につけていた分娩監視装置を、数時間ごとチェックしていた看護婦さんの判断により、私は夜中起こされ医者も緊急に呼び出しをうけ、さらに数時間早い出産となったのです。

 私が手術室に入ったとき見た時計は4時少し前、すぐに医者が来て、睡眠ガスを口に当てられ意識を失い4時28分出産。ということなので、手術時間ってこんなにも短いものなのだなあと思いました。

 数時間早まったため、予定していた2回目の胎児の肺の機能を高めるための注射はなくなりました。35週目で、予定日の約1ヶ月前、体重2090グラム、身長42センチ、頭囲33センチで、もちろん標準よりも小さめでした。

 2キロないかもしれない、と言われましたが体重はかろうじて2キロを超えました。でも、肺の機能が未熟で早産まれてすぐにNICUへ連れていかれました。幸いなことに、そこでの検査の結果は「特別に異常なし。」ということで、すぐに普通の新生児室へ移動ということになりました。

 手術を終えて、私の意識もしっかりして、病室のベットについたときは、もう日が昇って明るかったため、午前6時は過ぎていたと思います。まだまだ、頭の中は ぼーっとしていました。腕には点滴、下は尿管がつけられて、動けない状態にさせられていました。

 その日一日は、食べることはもちろん、水すらもあまり飲ませてもらうことができませんでした。看護婦さんに、もっと飲みたいと言っても、今日一日はこれだけと言われ、飲ませてもらえませんでした。

 手術直後に胃袋に入れると、気持ち悪くなり、吐いてしまうことが多いそうです。


・・出産直後の1日・・

 看護婦さんが言うには、「帝王切開の手術後24時間は、飲食禁!。」

 でも、水なら少し飲んでもいいと言われました。そして、プラスチックのコップにストローが入った水を渡されました。

 始めは、何でコップの中にストローが入っているのかと思ったのですが、渡されたまま飲みました。ストローなしで飲もうとしたら、飲むことができませんでした。普通に飲もうとしても、飲むことができないのです。

 それから、自分で寝た状態を起き上がらせることもできないのです。お腹にまったく力が入らないのです。起き上がりたいことを側にいた看護婦さんに言ったら、そばにあったリモコンで、ベットの角度を変えて、起き上がれる状態にしてくれました。一見とてもシンプルに見えるベットににこんな仕掛けがあったということに驚きました。

 意識はしっかりしているのに、自分の体がこんなにも自由に動かせないなんて・・。

 この初めての経験にいらだちを覚えました。

 自分が動けないので、夫と看護婦さんが新生児室から赤ちゃんを運んできました。未熟児ということで、まだまだあまりちゃんとしてない(人間っぽくない)のではないかな・・とおもいましたが、予想したよりも、普通の顔立ちをしている赤ちゃんで、かわいいなあと思いました。

 今は、看護婦さんが定期的に粉ミルクを少しずつ与えているそうです。明後日くらいから、母乳を与える時間を作ってくれるとのことでした。

 その日1日は、少し眠っては起きて、起きていても退屈で、夫に、出産育児の本を持ってきてもらい、読んだり寝たりと、過ごしていました。

 幸い、ベットの隣に電話があり、外にもつながるようになっていたので、友達にかけたり、プリペードカードで、日本の両親と話しました。点滴と尿道管をつけていたし、体も思うように動かない上に飲食禁止で、安眠もできず、本当に退屈でした。

子供の名前・・

 生まれる前、羊水検査した時にすでにお腹の子供の性別がわかっていたので、名前を前もって夫と考えていました。

 名前について一番重要視したことは、チャイニーズでも日本語でも通用する漢字で、なおかつ「発音、読み方が同じ!」ということでした。 いくつか候補をあげた上、その中で、コンピューターの姓名判断に入れてみて、苗字と一番つりあいがよさそうな名前を選びました。

 天下泰平の「泰」に、友達の「友」で、「泰友(たいゆう)」という名前に決めました。

 中国語の共通語ピンインの読みは「tai you(たいよう)」。ローマ字の「O」が入るので、日本語のローマ字表記と違ってしまいます。

 でも、夫は、中国でも客家(はっか)という方言の出身。その客家読みは「tai yu」となるそうです。ということなので、シンガポールへの登録は「tai yu」にしました。もちろん、日本語のローマ字表記と同じになるので、困惑しないだろうから、完璧!と、おもったのですが・・・

 日本語で漢字をみて普通に読むと「泰友(やすとも)」と読むと指摘されてしまいました。でも、たまたま私の従兄弟に「岳友(がくゆう)」という男の子がいることを思い出しました。親には、まるで、兄弟みたい、彼の名前を意識してつけたの?と、言われたけれど、その時は、まったく意識していないし、指摘されるまで気がつかなくて、偶然だったのです。

 出生登録は病院内で可能。そこで夫に手続きしてもらいました。

 名前一つ決めるだけで、いろいろと迷ったり、時間がかかりました。
 でも、中華系の夫を持つ友人に聞いたら、まだましだと言われました。 その友人の所では、祖先とか家系からの決まりで、生まれてくる子供に、必ず使わなければいけない漢字があるそうです。自分で子供の名前を自由に決められないことを嘆いていました。



ページトップへ戻る

メイナイの
シンガポールで育児
 
PART1
はじめに…
序章
結婚式までの1ヵ月
結婚式の数日前
 
結婚式の朝 
夫の家での結婚式
 
中華レストランでの披露宴

PART2
結婚披露宴 2
披露宴が終了して
妊娠発覚

日本へ帰ろう 
日本の秋は寒かった
滞在中楽しかったこと


PART3
8週目のできごと
8週目のできごと(続き)
シンガポールへ戻る
GPから紹介された産婦人科
シンガポールの大病院
初めての産婦人科検診

PART4
従兄弟紹介の産婦人科
産婦人科の隣 
妊婦のはまった南国フルーツ
妊娠初期の食べ物
シンガポールのクリスマス
妊娠16週目、血液検査の結果

PART5
シンガポールの大晦日
シンガポールでの元旦
1月2日、羊水検査
羊水検査の結果

旧正月直前のシンガポール
19週目、胎動を感じるようになる

PART6
両親がシンガポールに3日滞在
旧正月前のチャイナタウンとクラークキーの夜
羊水検査から6週間後の検診
チャイニーズニューイヤー
元旦と2日目


PART7
夫婦でシンガポールPRを取得
25週目、メールで知り合った妊婦友達と会う
フリーマーケット巡り
日本人の母親学級
32週目(9ヶ月目)検診で
妊婦最後の35週目

PART8
5月14日アルバニア病院へ入院
出産のための入院中
5月15日午前4時28分出産
全身麻酔による帝王切開
出産直後の1日
子供の名前

PART9
5月16日、産後1日目
授乳の量、ミルクの量と間隔
入院中
手術後の体
同室の人々
入院6日目に退院

PART10
ベビーブック
予防接種

退院と精算
日本の母の滞在
4ヵ月頃までのミルクの飲み
おむつの話

  
PART11
離乳食の話
寝返り、おすわり、つかまり立ち
赤ちゃんとの初海外旅行 NEW
HOME l 月刊ポピーについて l ご注文 l 全家研総裁エッセイ l 子育てエッセイ l お問合わせ