PART9

・・5月16日、産後1日目・・

 産後1日目は、1日中ずっとボーっとしていた上に、腕からは痛み止め入りの点滴をしていて、何時間かごとに看護婦さんが交換しにきました。その上、尿管もつけられて、おなかに力も入らず、まったく動けない状態なので看護婦さんが私の下の世話もしてくれました。いっさい食べ物を食べてはいけなくて、水は飲ませてもらえたけれど、量が決まっているようで、ほんの少ししか飲ませてもらえませんでした。

 16日の翌日の朝は、ようやく水以外に、食べることがゆるされて、朝食にはお粥がでました。お粥といっても、米粒のかたちがほとんど残っていない、さらさらしたもので、味がほとんどありませんでした。

 朝食がでるのと、ほとんど同時くらいに小児科の人がやってきて、「赤ちゃんは元気です」と、だけ言ってかえっていきました。 その後は、午前中に母乳指導の人が各ベットを回ってきて、マッサージの仕方とか、母乳の与え方の指導がありました。でも、私は、いくら言われた通りにマッサージをしても、まったく母乳がでませんでした。母乳指導の人がいうには、「初産で最初から沢山でる人のほうが少ないないから、気にしないで。」と言って帰りました。

 その日は、その後、「出産記念に、赤ちゃんの写真を撮ってアルバムにする。」という、業者がやってきました。通っていた母親学級の先生から、病院内に、そういう業者が来る。いらなかったら断ればいい。と、あらかじめ言われていたので、断りました。どのように写すかサンプルを見せてくれたけれど、生まれたばかりの赤ちゃんに、こんなことするの?(着飾らせるとか。。)というものばかりで、なんだか、日本ではあまり考えられないことだったので、驚いてしまいました。


・・授乳の量、ミルクの量と間隔・・

 母乳をあげたいということで、数時間ごとに赤ちゃんが連れてこられましたが、ぜんぜん飲んでいる感じ、飲まれている感じがありませんでした。

 ミルクの飲みは、産まれたときから ちゃんと記録があり、3,4時間ごとに飲んだミルクの量が記載されていました。それによると、産後約3,4時間後に16CC.3時間後にまた16CC.でも、その3時間後にも、次の3時間後にもなにも飲まず、夜になってようやく また16CC. たった16CCずつしか飲まないのには、ちょっと驚いてしまいました。

 3,4時間ごとの16CCは、最初の2日間で、それからは20CC,つぎは25CCずつ。というように飲む量が増えていき、退院するころには、1回に30CCくらいづつ飲むようになっていきました。

 やはり、早産児で、ミルクを飲む量が、他の赤ちゃんに比べると少ないようです。

 母乳指導の人は、電動搾乳機をベットまで運んできてくれました。管の通ったお椀のようなものを、胸につけて、電気で母乳を搾乳するのです。でも、少ししたら、胸をぎゅうぎゅう絞られ、痛くて続けることができませんでした。 結局、少しも搾乳することができませんでした。

 母乳マッサージというものも、やってもらいました。コツをつかんで、後は自分で毎日数回続けなさいと言われました。

 友人に、手動の搾乳機をもらっていたので、それも試してみました。自分でコントロールできるので、電動よりもよかったけれど、数滴でただけでした。

 退院までは、母乳をあげることができずに、看護婦さんから、ずっとミルクを与えてもらいました。その産院では、「S−21」というメーカーのミルクを与えていたそうです。これは、1人1人の赤ちゃんの状態をみて判断している担当医からの指示でした。



・・入院中・・


 3日目からようやく普通の食事をとることができるようになりました。メニューは西洋、中華、マレー、ベジタリアンの4種類から選ぶことができました。

 朝、7時頃いつものように小児科医の先生がきて、「赤ちゃんは元気です。少し黄疸がでています。」と言って帰っていきました。少しくらい黄疸が出ていても、血液型がB型の子は問題ないそうです。主治医の先生もまわってきました。退院の日について聞いたら、「あと3日後くらいで、退院できる。」とのことでした。

 それから母乳指導の人がやって来ました。でも、相変わらず母乳がでないので、看護婦さんが機械の自動搾乳機を持ってきました。やはり痛くて辛いので、辞めて欲しいと訴えました。結局母乳は数摘出ただけでした。

 1日3,4回、母乳を飲ませるために、定期的に看護婦さんが赤ちゃんを連れてきてくれるのですが、看護婦さんも母乳がでないことがわかっているので、授乳の1時間後くらいには、粉ミルクを飲ませていてくれていました。

 午後には赤ちゃんの入浴指導の時間がありました。とにかく、全部英語なので、あまりよくわからなかったけれど、すべて、本物の赤ちゃんを使っての実践だったので、なんとなく理解できました。

 私の入院中、主人は午前だけ仕事し、午後は病院へ来てくれていました。手術後の1日目(24時間)は、飲まず食わずを強制させられましたが、2日目はおかゆ、そして、3日目から、食べ物に関しては、何を食べても問題ないということでになりました。

 そこで、さっそく主人にケーキを買ってくれるようにお願いしました。買ってくれたケーキは、会社の近くのパン屋のケーキだったので、そんなに美味しいものではありませんでしたが、嬉しかったです。

 寝ているベットのわきには電話が備え付けられていたので、友達の何人かに電話をしたら、2,3人の友達が病院へ来てくれたことも、嬉しかったことの一つです。



・・
手術後の体・・

 夫の会社の人が代表で出産祝いを持ってきてくれました。とても大きな箱をかかえてきたので、何かと思ったら歩行器でした。でも、すでに用意したものだったので、素直にありがたいという気持ちがでなくて、困惑してしまいました。

 持ってきてくれた主人の同僚は親しい間柄だったので、「もう、持っているものなんだけどなあ」とはなしたら、「会社の人たちは本当にわかっていない。現金をそのまま上げるか、実用的な紙おむつにすればいいのに」と言っていたそうです。でも変更はされず、家には子ども1人に2台の歩行器がある状態になりました。

 帝王切開の後は痛いと聞いた事があるけれど、痛み止め入りの点滴などをしていたので、さほど痛みを感じることはありませんでした。でも夜になると看護婦さんが、痛いか、痛み止めはいるか聞きにきます。

 聞かれると、なんとなくお腹がいたいような気もしたので、痛み止めをもらって飲んで寝ることにしました。

 自分で歩いて自室のトイレにいけるようにはなりましたが、排便はなかなかなく、気になっていたところ、看護婦さんが浣腸してくれることになりました。それが、ちょっと乱暴なやり方だったので、私のお尻の具合が悪くなってしまい、かえって困ってしまう結果となりました。

 赤ちゃんの沐浴の講座に出席するために、はじめて部屋を出て歩いたときには、歩くことが大変なことに気がつきました。めまいがしたり、壁伝いに一歩づつでなければ移動ができないので、最初の沐浴講座に出席することはあきらめてしまったくらいです。

 その後も、手術して切ったお腹がときどき痛んだり、でないおっぱいがチクチクと痛むことがあり、もとの状態に戻ることができるのか、不安な気持ちにもなりました。



・・
同室の人々・・

 入院4日目くらいになると、4人部屋で、私より前から入院している人がすべて退院してしまうだけでなく、私より後で入院してきた人も先に退院していくので、「早く退院したい!」という気持ちが強くなりました。

 それに加え、同じ部屋内で、本人の家族やお母さんがひっきりなしに出入りしている光景を見ると、とても羨ましく思いました。

 うわさに聞いていた通り、マレー系の場合、家族が多いのか、親戚知人全てやって来る傾向があるのか定かではないけれど、見舞いに来る人数の多さに、驚きを感じました。また、子供も沢山来るので、とてもにぎやか(騒がしいくらい)でした。

 たまたま向かい側のベットがマレー系の人だったので、彼女が入院している間じゅう、毎日のように大騒ぎでした。

 一方、隣には、私が入院して、2,3日後にインド系の人が入りました。こちらは、せいぜい来るのはご主人とお母さんくらいなもので、わりとひっそりしていました。同じく帝王切開だったようで、私よりも退院が遅かったです。

 私は、ときどき寂しくなると、ベットの隣にある電話から友達や母に電話をして、退屈しのぎをしていました。

 友達は出産経験者ばかりだったので、入院中のことや、退院後のことなど、赤ちゃんのケアーから 母乳などの話、経験話を加えながら、いろいろとアドバイスをしてくれたので、とてもたすかりました。

 私の1ヵ月前くらいに女の子を出産した友達は、1泊で退院したけれど、赤ちゃんに新生児黄疸がでて、赤ちゃんだけ入院し、その間、毎日病院へ通っていたそうです。

 幸い、私の子供は、多少黄疸がでていたそうですが、たいしたことはないと医者が言っていました。ちなみに、血液型がB型の場合、胆汁色素(ビルビリン)の量が多く、数値が多少高くても、問題がないそうです。


・・入院6日目に退院・・

 入院して6日目にあたる日曜日の昼に退院することが決まりました。

 病院では、赤ちゃんは常にオクルミというかタオルに巻かれていて、ミノムシ状態。 そこで、退院する日に着て帰るベビー服を持ってきてくれるように事前に夫に頼んでおきました。

 退院前日に、夫の母親がマレーシアからシンガポールへ来ていて、2人で病院へ私と赤ちゃんを迎えにきました。

 退院手続きをして、病院で使っていた残りの紙おむつ、ベビーバック(その中には、各種メーカーの粉ミルクのサンプル、ベビーシャンプーやベビーリンスの試供品が入っていました)加えて、病院の名前が入ったベビーバスを受け取りました。 

泰友の黄疸はそれほどひどいものではないので、母子共に退院することができましたが、友人のなかには、黄疸がひどいために、赤ちゃんだけのこして退院したという人がいがいに多く、私はとてもラッキーなほうでした。

 私は自分のことで精いっぱい。立って歩いたりするのに、まだふらふらするため、赤ちゃんは、ずっと義母に抱っこしてもらいました。病院から家まではタクシーで一直線。1週間ぶりに家に戻ることができました。

 家は、夫がすっかり綺麗にしてくれて、ベビーベットもしっかりセットしてくれていたので、すぐに赤ん坊を寝かせることができました。

 私もまだまだ手術後の体で、無理がきかないので 家のことなどは義母にまかせました。

 予定日よりも1ヵ月ほど早くに産まれたため、予定日よりも前に来る航空券をとってくれた日本の母でしたが、結局は産後10日後くらいに、当初の予定通りの飛行機でこちらへ来てくれることになりました。

 それまでは、義母が数日仕事を休み、シンガポールに滞在してくれることになりました



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メイナイの
シンガポールで育児
 
PART1
はじめに…
序章
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結婚式の数日前
 
結婚式の朝 
夫の家での結婚式
 
中華レストランでの披露宴

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結婚披露宴 2
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羊水検査の結果

旧正月直前のシンガポール
19週目、胎動を感じるようになる

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旧正月前のチャイナタウンとクラークキーの夜
羊水検査から6週間後の検診
チャイニーズニューイヤー
元旦と2日目


PART7
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25週目、メールで知り合った妊婦友達と会う
フリーマーケット巡り
日本人の母親学級
32週目(9ヶ月目)検診で
妊婦最後の35週目

PART8
5月14日アルバニア病院へ入院
出産のための入院中
5月15日午前4時28分出産
全身麻酔による帝王切開
出産直後の1日
子供の名前

PART9
5月16日、産後1日目
授乳の量、ミルクの量と間隔
入院中
手術後の体
同室の人々
入院6日目に退院

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